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2005.03.10

ブログ開設一周年企画・網膜剥離物語

1996年2月に網膜剥離を患ったときの記録です。
手術後に記憶がまだ温かいうちにと残しておいたものです。
小説の体裁にしたのは、そのほうが事実を客観的に見られると思ったからです。

 「網膜剥離物語」

プロローグ

 ある日の午後、ふと見上げた蛍光灯の光が黄色っぽく見えた。
 「だいぶ、疲れているな。」
 わたしは、出張による疲れのためだと思い、とりたてて気にせず宿泊先のホテルに戻った。
 部屋に入るとすぐにバスタブに湯を入れ、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、グラスに注いだ。缶を持つ手が少し震えたが、仕事の後のビールはいつもと同じようにように旨かった。飲み終わったビールの缶を投げ捨て、服をベッドの上に脱ぎ置きバスルームに入った。
 「痛っ!」
 湯に浸かろうとしたとき、膝をバスタブにしたたか打ちつけてしまった。
 「どうも、眼の様子が変だな。」
 シャワーの後、部屋で見え方のチェックをする。片目ずつ押さえて文字を見てみると、左目に映る文字が小さく、しかも歪んで見える。
 「こりゃ、ただ事ではないな。」と思い、恋人である陽子に電話してみた。
 陽子に、症状を話すとすぐに家庭用の医学書で当てはまりそうな病名を調べて、連絡をしてくれた。どうやら眼球内の脈絡膜の炎症でありそうである。
 「いずれにしてもこの出張が済んだら、病院で診てもらう必要があるな。」


宣告の日

 三日後、自宅近くの眼科医院を訪れた。
 前日までの三日間の出張で、徐々に視力も衰え、今では明暗がかろうじて分かる程度になってしまっていた。待っている間にも不安は募る一方である。
 暫くすると名前を呼ばれたので、中に入るとまず視力検査を行う。わたしの左目は、いくら度の強いレンズを付けてもいっこうに焦点を結ばなかった。異常なのは明白であった。
 「あのう、眼鏡をつくりに来たのではないのですが・・・」
 「まず、私たちはあなたの眼がどのくらい見えないのかを知る必要がありますので、よろしくお願いします。」
 なるほど、ごもっともだ。従うことにする。
 視力測定が終わると、瞳を大きく開ける目薬をさし、頃合いをみて診察が開始される。
 女医は、ひととおり診察を終えてカルテになにやら書き込み、くるりとわたしの方を向くと、
 「網膜剥離です。すぐに手術をする必要があります。」と言った。
 「入院ですか?」
 「ええ、最低1ケ月は必要です。手術できる病院を紹介しますから、あとでお渡しする紹介状を持って明日の朝そちらに行って下さい。」
 へー、網膜剥離だったんだ。
 昔に流行った、驚いたときの表現である「ガーン」が鳴り響いた。
 気を取り直して、陽子に連絡するために電話を借りたが、プッシュボタンの番号が見えづらくて苦労した。
 「陽子、病名が判ったよ。」
 「なに?」
 「網膜剥離だった。1ケ月の入院が必要だって。」
 「えっ、ほんと! とにかく、今日は早めにそっちに行くわ。」

 翌朝、紹介された市内ではわりと大きいその病院に陽子と訪れた。
 まず、初診の申し込みをするために順番に並び、診察券やカルテをつくってもらう。それからそれらを持って眼科の受付に行く。すると既におおぜいの人達が順番待ちをしている。
 「これでは、重病人にはとうてい耐えられそうもないね。」
 いつも思うのだが、病院の待ち時間の長さには閉口させられる。
 暫くして、紹介状の宛て名と同じ名札をつけた医師がやってきて、今日はこれから別の手術の予定が入っているので、代わりに小川という医師が診察をおこなう旨を述べた。
 わたしの眼底を丹念に観察したあと小川という医師は、こう言った。
 「網膜になんらかの理由でたくさんの裂け目が発生していまして、そこから眼球内の水が流れ込み、その力に耐えきれなくなった網膜が剥がれています。あなたの場合、視力において最も重要な黄斑部まで剥離していますので、視力が極端に低下しているのです。詳しい話は、おいおいすることにしますが、手術までの間は安静にしていて下さい。あいにく今日は、ベッドを開けることができませんでしたので、明日またおいで下さい。いいですか、家のなかでも入院と同じように過ごしていて下さい。そしてトイレと食事以外は、眼をつぶって横になっていて下さい。」
 このあと、私たちはトホホな気持ちで帰途についたのは言うまでもない。


入院事始め

 「ここが、トイレと洗面所。ちょっと中にお入り下さい。おしっこは毎回このコップに入れ、こちらの機械の自分の名前の書いてあるボタンを押して中に尿を入れて下さいね。それから・・・」
 看護婦が、ひととおり病棟内の施設の案内と説明をしてくれた。
 わたしは、病院から支給された病衣を身に纏い、もうどこから見てもりっぱな病人である。
 主治医の診察があり、
 「網膜との間に水が、かなり溜まっているのでしばらくの間、安静を保っていて下さい。安静にしていると網膜自体に水を排出する性質があるので、自然に網膜が元の位置に戻ります。水の量が少ないほど手術はやり易くなります。手術はそうですね、10日後になります。」
 眼の異常に気づいてから既に、4日が経過しているので2週間もほったらかしにすることになる。網膜剥離は早期発見、早期治療が鉄則のはずである。
 「えっ、そんなに後になるんですか?視細胞はだめにならないのですか?」
 「手術の前によく検査する必要があるので、すぐに手術というわけにはいきません。切ってから手術の方法を考えるわけににいきませんから。そりゃ、長い間知らずに放置しておくのはまずいですが。」小川医師は、顔を赤くして答えた。
 「10日間も、何も見ずに過ごすのはつらいと思うのですが。つい、眼を使ってしまうと思うんですが。」陽子も、質問した。
 「新聞を読もうが、テレビを見ようが勝手ですが、それは全部自分にはねかえってきますよ。われわれも手術が成功するように努力しますので、あなたがたもそれに協力して下さい。」小川医師は、さらに顔を赤くしていっきに喋った。
 わたしたちはちょっと、こわくなったのでこれ以上の質問はやめにした。


辛い退屈な毎日

 病室の壁には、一日のスケジュール表が貼ってある。
 「朝6時起床-8時朝食-12時昼食-14時検温-17時30分夕食-21時消灯」
 入院生活は、いたって単調な毎日になりそうである。なんせトイレと食事のとき以外、目を閉じていなくてはならないのだから。
 食事の前後に何をして、時間を潰すかが当面のわたしの課題となりそうである。
 「とりあえず、ラジオかCDでも聞いて過ごすほかないようだな。」
 かくして、わたしの人生の中でももっとも、退屈な生活が始まる。
 わたしは、一日の大半をFMラジオを聞いて過ごした。ラジオがつまらないときはCDをかけ、終わるとFM放送に切り替える。この繰りかえしである。よくもまあ耐えられたと思う。おかげで、最新のヒットソングには、詳しくなったが。
 社会の情勢を得るために毎朝、やじうまワイドというニュース番組の音声だけを聞いていたが、視覚に頼らない分かえって注意深くキャスターの話を聴くことができるようだ。ちょうど入院の直後、北海道でトンネル崩壊事故が起こり、路線バスと乗用車が閉じ込められた。毎日のように救出の様子が報道された。わたしは暖かいベッドの上の暗闇のなかで、このニュースを聞いていたが、閉じ込められた人にとっては地獄の苦しみに違いない。


しあわせの足音

 そんな中、毎日のように陽子が見舞いに来てくれたのが、唯一の救いだった。
 午後2時の面会時間が始まると、陽子がドアのかげから顔を出す。慣れてくると足音で、だれがやってくるのか判るようになる。
 「はい、ご注文のCDと陽子特製のカセットテープよ。
  それとパジャマと下着の替え、ここに入れておくわね。」
 「いつもありがとう。ところでそのカセットテープはなんだい?」
 「テープレターをつくってみたの。暇なときに聴いてね。」
 「へー、いま聴いてもいい?」
 「だめー。だって本物がここにいるじゃないの。」
 「わかったよ。あとで聴かせてもらうよ。それにしても、今日はすごい大雪でたいへんだったろ。ニュースでずいぶんたくさんの人が怪我したと言ってたから心配だった。しかし、この外界と隔絶された部屋に居ると季節感が麻痺してくるよ。きょうは寒いとか暖かいとか関係ないんだもんな。」
 「ここは、外の煩わしさを考えずにすむ場所なのよ。いまはとにかく安静にして、そうすれば手術かならず成功するから。そして、退院したら結婚してね。」
 「えっ、でもおれの左目、失明するかもしれないんだよ。そうなったら・・・。気安く結婚なんて口にするなよ。」
 「なにをバカなこと、いってんのよ。ぜったいに治るよ。ぜったいに。」

 陽子が帰ったあと、持ってきてくれたテープを回してみた。
 「それでは心を込めておおくりします。
 ひろしが治ることを一生懸命に祈っています。今日は2月5日月曜日、ひろしが退院してくる日を一日も早く待っています。病院で退屈だろうけど、ときどきテープでお手紙を出すので聴いて下さいね。
 手術まではずっと安静にして、必ずもとどおり、かならず治ってくださいね。
 そのために今はなるべく体を大事にして心に言い聞かせて、あまり動かないようにして下さい。約束ですよ。かならずね。
 ひろしが入院するのは出会ってから初めてですけど、いつだってひろしのことを応援しています。だから安心して静養して下さい。だいすきだよ。
 道で、ひろしの名前を口ずさんでいるときがあるよ。最初、しんぱいで心配で、歩きながらなんだか涙が出ちゃったの。わたしの目が少し悪くなってもいいからひろしの目が治るといいなあってほんとに思ってたんだから。いまも思ってるよ。
 ひろし・・・、会いたいな。
 そういえば今日、注文していた新しい冷蔵庫がきたんだよ。配達に来た人、わたしのこと、奥さんだなんて呼ぶんだよー。
 それでは、ここで音楽をかけたいと思います。曲名は、さだまさしの療養所(サナトリウム)です。聴いて下さいね。・・・」


手術前

 朝6時起床、眼がさめるとまず右目を隠して天井を見る癖がついた。そして、ぼんやりした視野の中にエアコンの吹き出し口がかろうじて目に映ると、とりあえず安心した。
 9時になると、診察の時間が始まる。診察室の前の長椅子にわたしたち患者がぞろぞろと集まってきて診察の順番を待つ。さながら電線にとまっているすずめのようである。
 わたしの場合、入院してからというものベッドに横になっているだけで、とくに診察といっても網膜に溜まっている水の量をチェックするだけである。そうしたわたしの心情を知ってか知らずか、あるとき小川医師がこう言った。
 「入院していて、なにも治療しないじゃないかと思われるかもしれませんが、安静も治療のうちですので、がんばってください。」
 しかし、わたしは手術を引き延ばしている本当の理由を知っていた。
 診察は、病棟ではなく外来の診察室で行われることもあり、待合室で待っていると小川医師と他の患者との会話の中で、
 「・・・今週は、学会での発表がありますので、その準備で今、てんてこ舞いなんですよ。ほとんど寝る暇もないくらいですよ。・・・」
といった会話がカーテンで仕切られている診察室から聞こえてきた。
 このことを、陽子に言うと、
 「学会で発表するくらいだから、きっといいお医者さんよ。」
 「そうかなあ、それにしても早いとこ手術をやってもらったほうが気が楽なんだけど。手術さえしちゃえば、後は寝て回復するのを待っていればいいんだからさあ。」
 手術に先立ち、いくつかの処置や検査を行った。
 裂孔原性網膜剥離(たんに、網膜剥離というときはこのことをさす)は、網膜の外周部に発生した多数の孔のうちいくつかが原因となり、そこから水が侵入し網膜の剥離を引き起こしているが、まだ剥離していない部位も十分剥離する危険性をはらんでいる。わたしの場合は、左目の耳側半分が剥がれてしまっているので、これ以上剥離しないようにするために、残り半分側にも存在する孔の周囲をレーザーによる光凝固を行った。これは水晶体側からレーザー光線を入射し、網膜に直接炎症を起こさせて、剥がれにくくする治療方法である。
 閃光がつらぬくと同時に眼の奥に痛みがはしる。孔が全周にわたって広くしかも数多く点在しており、いつ果てるとも知れない試練に何度となく意識が遠のきそうになる。やっと終わったときには、病衣が汗でびっしょり濡れていた。
 手術を来週火曜日に控えた金曜の夕刻から、網膜の孔の位置を詳しく測定する検査を行った。わたしはベッドに仰向けになり、細い棒が眼の上にぶら下がっており、その棒の先端の光を凝視する。この眼球の位置を原点にして網膜の孔の位置を座標として表すらしい。


手術

 手術の日、素っ裸にT字帯だけをつけて、いわゆる褌一丁になって、その上に手術着をはおり、キャスター付きの担架に乗せられる。そして、全身麻酔を効き易くするため二の腕に筋肉注射をする。
 「これが一番痛かったりします。」看護婦が云うとおり、結構痛かった。
 手術室へは、担架に乗せられたまま運ばれる。病院の廊下を渡り、そしてエレベータに乗り手術室の前に来た。テレビドラマなどでよく見る光景である。
 手術台に乗せられると、麻酔のマスクを口にあてがわれた。そして、わたしの名前を呼ぶのでそれに応えた。もう一度、呼ぶので返事をするが、声にならなかった。さらに名前を呼ぶ声が聞こえたが、この後の記憶はない。

 午後1時、手術開始。
 手術は、顕微鏡を見ながら行なう。まず、白目部分の結膜にメスを入れ、皮を剥くように眼球の裏側まではがす。これで、眼球を動かす筋肉が剥き出しになる。この筋肉に糸をむすんで引っ張り、眼球をひっくり返して固定する。それから網膜剥離を引き起こしていると思われる網膜の孔の位置を確認し、強膜(眼球の一番外側を覆っている膜)上から約マイナス80℃の棒の先端をあてて網膜に凍傷を起こさせる。こうすることによりはがれた膜どうしがくっつき易くなる。そして、小さな孔をあけ網膜の下に溜まっている水を外に排出する。次に、シリコンのスポンジのような棒を眼球にくい込むように縫い付ける。すると、眼球内に隆起が起こり、網膜の孔を塞ぐようなかたちになる。孔さえ塞ぐことができれば、後は網膜が残った水を眼球内に排出し、もとの位置に戻る。
 午後6時50分、手術終了。

 小川医師が、汗びっしょりの疲れ果てた顔で、手術室から出てきた。
 「網膜の孔が見えにくかったので、慎重に行いました。」


手術の後

 陽子がベッドのすぐそばにいることは声で判る。
 手術は、予定では2~3時間の手術と聞かされていたが、実際には6時間近くかかってしまったそうだ。
 手術した左目は、眼帯されているようである。なぜかなにもしていないはずの右目を開けることができない。無理やり指でまぶたを引っ張ると反対側のまぶたも動いてしまいとても痛い。それでも、細く開いたまぶたのすきまからのぞくと周囲の様子が以前と違うことが分かる。どうやら、病室を大部屋から個室に移されたようである。 体には電気毛布が掛けられているが、とにかく寒くてしかたがない。熱もかなりあるようだ。測ってみると38.5℃ある。
 おちんちんの先っぽから管が延びていて、尿瓶につながっている。尿意なぞないのに尿がしたたり落ちている。できれば病院のベッド上でのこんな姿を陽子に見せたくなかった。不思議なもので熱にうかされながらも羞恥心だけは、健在である。


 目をつぶっていると不思議なことに、いや当然のことであろうが人と言葉を交わすことも自由にできなくなる。対話しても、目の前がまっくらだと言葉が宙に浮いてしまい相手に聞こえているのどうか不安になる。電話だとそうでもないのに。

 正直言って、かなりがっかりした。すぐにでも、視力がもとに戻ると考えていたからである。
 この日から、見えない不安との戦いが始まった。

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